起こること全ては、何も生じない。
生じないのであれば、全てを良きもの
必要なこととして受け止めよう。
起こることに良いも悪いもない。
全て良いこと=必要な出来事。
ということですね。
そうは言っても、渦中にいる時は気付かないこともあるし
受け容れにくいこともありますね。
ただ、起こることに向き合い、クリアになって初めて
おっ!そういうことか。
これはやっぱり必要な出来事だったな。
そんな風に思えたりします。
3か月、禅語ブログをお休みしておりましたが
その間も訪れて下さる方がいて、とても嬉しく思います。
でも、このお休みのおかげで
やっぱり禅語って素晴らしい。
こんなにも温かく、わたし達が幸せに生きることを応援してくれている。
ああ、まだまだ学びたい。
伝えたい。
改めて、そう思うことが出来ました。
これも【一心不生】
わたしにとって、必要なお休みでした。
さて、わが家では只今末っ子の大学受験で
少し家の中がせわしなくなっております。
とは言え、春に3女の大学受験が終わったばっかりなので
若干の慣れも出て、傍から見れば余裕すらあるかも知れません(笑)
でも未だ、志望校が決まっていないにも関わらず
切羽詰まった感がないのも、ちょど1年前
学校へ行けなくなり、辞めることを真剣に悩んだからでもあります。
夫は長女、次女と高校中退。
末っ子までが高校中退となることは
父としてどうしても受け入れらなかったようです。
母であるわたしはと言えば
とても苦しいけれど、末っ子の胸の内を聞き知ってしまった以上
退学もやむを得ないと、腹をくくり
どう夫を説得するか思案していました。
夫を説得するための時間と
末っ子にはもう少しだけ頑張ってみよう
と話し合って設けた時間が過ぎて行くうちに
5・6回声を掛けてやっと起きてくる子だったのに
自分で6時に起きて、毎日学校へ行くようになりました。
この時の彼女にとっても
学校へ行けないという辛い出来事は、必要な出来事であり
真正面から向き合ったから、抜け出すことが出来たのでしょう。
わが家の末っ子は、とても自由人で
物事を順序通りに進める事、”ちゃんと” や ”普通”
ということに重きを置いて生きてきたわたしにとっては
宇宙人のような子なんですけど(笑)
それでも、末っ子なりに多くの事を考え
彼女なりの常識を守り
どんな風に生きて行くのか
ということを、しっかりと考えて成長している事
自分の思う人生を生きていることを
大学受験というものを通して見ることが出来ています。
宇宙人に見えるようなことも
良きこと・必要なことでしょうね。
手が掛からず育ってくれると、親は助かります。
何より、心を痛めて涙を流すことは少ないです。
でも、手が掛かる子は、手が掛かる子なりに
その子にとっても、親にとっても必要な世界を見せてくれ
ちゃんと落ち着くところへ落ち着きます。
手が掛からない子も、手が掛かる子も
それぞれ、多くの世界を見せてくれます。
それは一人っ子であっても、その子の成長を通して
多くの世界を見せてくれます。
そのどれもが、良きこと・必要なこと
いずれ、それがちゃんとわかる日が必ず来ます。
わが家のように。
<今日の禅語のまとめ>
【一心不生 いっしんふしょう】
辛くても、楽しくても、平凡でも
起こることは全て必要なこと。
そのどれとも向き合い
辛さは乗り越えるために向き合うことが出来れば
楽しさは、遠慮せずに堪能することが出来れば
平凡には、心からありがたいと感謝することが出来れば
必ず、起こることが良き事・必要な出来事だと
理解できる日が来ます。
子育てにおいて
そう思い、子どもと接することが出来れば
少し余裕も出そうだと、そう思いませんか?
中々余裕が持てません。
という方はカウンセリングセッションがおすすめです。
今日は、再開して初めてのブログなので、過去に書いた記事で
いちばん訪れて下さる方の多い禅語をもう一度取り上げてみました。
過去の【一心不生】はこちら
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