長年使い込んで、先が丸くなったキリのこと。
このキリは先が丸くなってしまったので、もうキリとしては使えないけれど
長年使い込まれた味わい深さから、捨てられることなく
道具箱にしまわれているそうです。
下ろしたばかりの真新しいキリは鋭く、道具としてはとても役に立つでしょう。
しかし反面、熟練した者が注意深く使わなければ、自分の手さえも傷付けてしまいかねません。
ここで感じるのは、もう本来の使い道ではなくなってしまった古いキリが
なぜ、いくら思い入れや、味わい深さがあるからと言って、捨てられることなく
道具箱にしまわれているのか?
ということです。
この古いキリには、穴をあけるという本来の仕事ではない、別の仕事があるからです。
それは何かと言うと、真新しいキリの鋭さゆえの危険性を、ただそこにいて知らせることだと
わたしは思います。
禅タロットにこの禅語にピッタリなカードがあります。
大アルカナ 19 無垢
タイトルからして、かわいいおじいちゃん、というイメージが湧きますね。
年齢を重ね、酸いも甘いも知り尽くしたからこそ、老齢になってこんな穏やかな表情が出来る。
年を重ねないと出来ないこと、見えないこと、そんなことを
たった一言の禅語で、たった一枚のカードで表しているように思います。
ちょうど、お正月に甥っ子に会い、義妹と話したことを思い出します。
わたしは、年に1度しか会わず、少し緊張気味の年長の甥っ子と距離を縮めたくて
こんな質問をしました。
何が一番好き?何してるのが一番楽しい?
すると、甥っ子はこう答えました。
何の中で?
義妹は、なんでそんな事聞くんや(笑)
と笑っていましたが、わたしはこの子賢いなぁと思ったのです。
一年に1度しか会わない、なんか知らんおばちゃんに
いきなりよく理解出来ないことを質問されて、適当に流すことも出来たのに
ちゃんと答えようとしたからこその、逆質問です。
感動して、思いっきり褒めました。
でもこれ、自分が子育てしている時には気付かなかったことなんですよね。
その証拠に義妹は、わたしが褒めていることがよく分からなかった。
お義姉さん、そんな褒めてくれはるけど、それ凄いですか?って。
まぁ、普通です。
毎日、ガチンコで向き合って生活してれば、その質問の深さまで気は回らない。
でも、それでいいと思うのです。
誰かがこうして、そっとそれを知らせてあげる。
そこを通り過ぎた者として。
<今日の禅語のまとめ>
関古錐【かんこすい】
もう、本来の目的では使えなくなったとしても、そこに至るまでの経験は次に残すことは出来る。
年を重ねて丸くなったら、それを活かして次世代へつなげて行けばいい。
その経験があってこそ、伝えられるものが誰にもあるのです。
これ、子育てに限らず先行く者の使命だとわたしは思います。
仕事も、勉強も、人生も。
わたしは、たくさん失敗した自分の子育て経験を次へ活かし
一人でも多くの親子の安心で幸せな笑顔を取り戻したいと思います。
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