抜きんでて、光り輝いている人は、見えないところで多くの努力をしている。
ということを表す禅語です。
何の努力もしないで、何かを成し遂げることはないし
ましてや、その分野で一人抜きんでて活躍したり
輝くことは出来ないでしょう。
皆、見えないところで人一倍努力しています。
一生懸命、楽しそうに仕事をしている人は
とても輝いて見えます。
そして傍から見れば、何の苦労もせず順調良く
いっているようにも見えるほど
自然体で、いきいきと仕事をしているように見えるでしょう。
でも、努力せず成果を上げている人などいません。
誰もが見えないところで、コツコツ、コツコツと努力しています。
愛おしそうに子どもを抱き、幸せそうな女性もまた
とても輝いて見えます。
子育ては大変だろうなと、想像は付いても、それ以上に幸せそうに見えるものです。
でも子育ても、眠れぬ日々が続き、髪を振り乱していることだってあります。
わたしは30歳になる時
何とも言えない焦燥感に見舞われ、落ち込むことがありました。
早くに結婚し、次々と子どもが生まれ、自分に構っている余裕などなく
それこそ髪を振り乱し、子どもを怒鳴り散らし、子育てをしていました。
周りの友達は、好きな仕事をし、自由に友達に会い
キラキラして見えたものです。
反対に友人は
早くに結婚し4人の子どもに恵まれたわたしを
大変だろうけど幸せそうだなと思っていたそうです。
皆、輝いて見える姿のその裏側で
必死に頑張っていることを自慢するでもなく
嘆くでもなく、それぞれのやるべきことに精一杯でした。
それを分かっている大人ですら人が羨ましく感じることが
あるのですから、子どもが周りを羨んだり
自分が劣っているなんて感じるのは、とても自然なことです。
わが家でも過去、進路を決められない次女が
夢を語る友人と自分を比べて、自暴自棄になったこともありました。
周りはキラキラして見えるけど、自分には何もない。
そんな風に見えていたようです。
こんな時、親が出来ることといえば、その気持ちを理解し
共感し、あとは子ども自身が納得して自分の足で歩き出すのを待つだけです。
そして、子どもが自分で歩き出した時に
「あの時、逃げずに悩んで向き合っていたから、今あなたは輝いているよ」
そう伝えてあげればいいのではないでしょうか。
<今日の禅語のまとめ>
【活卓々孤迵々 かつたくたく こけいけい】
子どもが壁にぶつかり、悩んでいる最中は
みんなも頑張っているとか、あなたが劣っているわけではない
なんて、当たり前の事言っても伝わらないものです。
輝いている人は陰で努力しているということは
子ども理解しています。
だからこそ、何も言わず
子どもが自分で歩き始めた時に、その努力を
大いに褒めてあげるのが親に出来ること。
壁にぶつかっている時ばかりが、親の出番ではなく
その壁を突き破った時にこそ、大事な役目が回ってきます。
0コメント