観音様の温かい眼差し。
慈しみの眼を持って人を見ること。
わたしたちの苦しみを自分の事のように捉え救おうとして下さる
観音様の眼差しを言います。
漢字からのその意味も何となく分かりやすそうな禅語ですね。
慈しみの眼を持つ
苦しみを自分事のように捉え、救おうとする
そんな気持ちで人に接すること
相手が子どもだと分かりやすいでしょう。
しかし、可愛いわが子の苦しみを自分事のように捉え救おうとすると
どこまでやってあげたらいいのか悩むのも親です。
最近お受けするご相談でも
どこまでが正解なんだろう?
そう悩むが故に、どうしていいのか分からない
といった親御さんが多くいらっしゃいます。
そんな時にお聞きする、最も大事だと思うことがあるんですけど
知りたいですか?
皆さんも、悩みごとの大小に関わらず
迷った時にご自身に問うてみて欲しいんです。
結局わたしは、どうなれば一番嬉しいのか?
何がどうなって欲しいのか?
子どもさんに関することであれば
子どもさんが、どうなることを望んでいるのか?
子どもさんにどんな人生を送って欲しいのか?
大抵の親御さんは
「誰にも迷惑を掛けずに、ちゃんと自分で生きて欲しい」
と仰います。
わたしも、そう思います。
では、迷惑って何でしょう?
ちゃんとって何でしょう?
そこまで考えてみて欲しいのです。
考えましたか?
意外とあやふやではなかったですか?
だからもっと、もっと具体的に掘り下げてみて欲しいんです。
「迷惑」ってどんな事?
「ちゃんと」って何?
具体的なことが出てきたら、きっと子どもへの期待
(本来、わたしは子どもへの期待はしないように言いますが
今日はあえて、こう表現しますね)
どんな人生を歩んで、幸せに生きて欲しいのか?
それも具体的に、言葉にして表せると思います。
そして、それが出来ればどこまで関わればいいのか
どこまで口を出し、手助けしてあげればいいのか
自ずと分かって来るでしょう。
難しそうですか?
過去、わたしは難しかったです(;・∀・)
でも、今は簡単です。
慣れれば、誰でも出来る簡単なことなので、一度チャレンジしてみて下さい。
<今日の禅語のまとめ>
【慈眼 じげん】
相手を慈しむ
慈しみの眼を持って接するのに何が必要なのか
本当の意味での
苦しみに寄り添い、救うとはどういうことなのか。
子どもに歩んで欲しい、生きて欲しい人生が明確なら
どこまで手出し口出ししていいのかはっきりします。
1人ではどうしていいのか分からない方は
カウンセリングセッションがおすすめです。
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