下山路是上山路【あさんのみちは これ じょうざんのみち】

山を下りる道は、そのまま上る道でもあり、表裏一体である。

ということを表わす禅語です。


登ったから、下りているわけで、一度経験しているからこそ

今から登る人に伝えられることがある。

いくら山登りが得意でも、その山に登ったことがなければ

今から登る人に、その山の乗り越え方をアドバイスすることは出来ません。


同じように、先にしんどい経験をしてきた親でも、同じ経験をしていなければ

何も伝えられない。


こんな時は、親じゃなくても、経験者に任せる方がいいこともある。

そう、思う出来事がありました。



先日、次女から心がしんどいって、SOSが入りました。

ちょっと迎えに行ける状態ではなかったので、無理だと伝えたんですが

やっぱり気になって、長女にバトンタッチしたんです。


「様子見に行ける?」

って。


そうしたら

「自分も気になるから行ってくる」

と、すぐに駆け付けてくれました。


この時、長女がすぐに次女の元へ駆けつけてくれたのは、

心配だからという理由だけではなかったんです。


もう1つの理由とは

自分もそのしんどさを知っているから。


色んな事が押し寄せて、一人が不安で怖くて仕方ない時

誰かに側に居て欲しい

そんな経験を自分もしているから


このへん、わたしは割と自分で解決して生きてきたので

この日の次女には、母よりも長女が寄り添う方が

癒されたことでしょう。


その上、長女は

「自分が側におるから、お母さんもあんまり心配せんときな」

と、母の心配までしてくれました。


これも、自分が散々心配かけてきたという経験があるから分かることですね(笑)


自分の経験から、次女に寄り添うことで、長女自身もまた新たな山を1つ乗り越えたようです。


<今日の禅語のまとめ>

【下山路是上山路 あさんのみちは これ じょうざんのみち】


経験した人にしか伝えられないことがあり、役割がある。

経験を活かすことでその体験は初めて本当に自分のものになるのでしょう。


今回のわたしのように、経験者である長女に任せることにより

長女はまた一つ、新たな経験をし、次女は癒された。


そして、わたしもまた、突っ走りそうなのを我慢して

子ども達に任せて見守るという山を乗り越えました。


乗り越えるべき山は人それぞれですね。


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