且緩々【しゃかんかん】

焦らず、慌てず、自分の出来ることを自分のペースでやればよい

という禅語です。


わたしたちは、人と足並みをそろえるように

人と同じことをするように教育され、それが当たり前のように大人になりました。


この猫達のように、寝たければ寝ればいいし、起きて痛ければ起きていたらいいのにね。


みんな違ってみんないい


と言いながらも、人と足並みがそろわないこと

人と違うことをすることに、抵抗がある人は多いでしょう。


特に不登校児を抱える親にとっては

不登校は誰もが成り得ること

行けないのなら行かなくてもいいと薄々気付いていても

焦りが出てくるのは、普通の感情だと思います。


それだけ、学校というのは行って当たり前、行けて当たり前という認識が植え付けられているのです。



さて、いつもより短い夏休みが終わり、小学校も中学校も2学期が始まりましたね。

不登校の親子にとっては、憂鬱な2学期のスタートです。


焦りや不安はあるでしょうが、今日はそんな思いを少しでも手放せてもらえたらと思いブログを書いています。



わが家の不登校児だった次女。

2度も高校を辞めたのですから、生き辛さを抱えているのは誰が見ても分かることと思います。

一人で生活をしていますが、まだまだ外の世界が苦手です。


そんな次女ですから、車の免許を取りに教習所へ行かない?

と聞いても、一人では行けません。

本人も免許は欲しいし、車の運転もしたいのに行けません。


うん。そのうちね。

とはぐらかされて1年。


ちょうど長女が二輪免許を取りに行くから一緒に行こう!

と誘い出してくれ、何とか行く気になったものの


講習を受けていると、学校を思い出して、気持ち悪くなる

間に合うように、起きてるのに外の出れない


と言い出しました。

おお、受講料無駄になるのか!?

と思いはしたものの


その気持ちを認めた後、学校と教習所は、行く目的が違うね

という話をして放置していたら、再び通い始めたのです。

しかし、ホッとしたのもつかの間、その後2回もトラブルがあり


これはもう行かれへんな。今度こそ無理やわ。潔く諦めよう。


と決意したのに、何事もなかったかのように通っているのです。


無理してないかな?大丈夫かな?

と思い、本人に聞いてみると


教習所は、自分の目的があって通ってるから頑張れる。

実車教習の教官が、自分に合う人で安心できるから、その教官の講習を受けるようにしている。


と言うのです。

正直言って、本当に無理だし、諦めていたんです。

受講費も無駄になるけど、何よりまだ外の世界が難しいんだと少しショックも受けていました。


でも、本人は本人のペースでちゃんと成長し、自分のしんどくなるポイントを理解して調整しようとしていました。


もう、20歳です。

これぐらい、普通と思われるかもしれません。


でもね、生き辛さを抱えるとみんなが出来る当たり前のことが難しくなります。


それを、頑張って乗り越えようとしている娘がすごく頑張ってるなと思えて

まるで、ムツゴロウさんのように


よーしよしよし

と褒めておきました(笑)


今現在、学校へ行けない子どもさんの親御さんはとても辛いと思います。

でも、親が味方であれば絶対大丈夫です。


可愛い、可愛いわが子ですから、不安も焦りもいっぱいです。

でも、この子達はこの子達のペースでしっかりと成長しています。


その成長を実感できるのに、何年も掛かるかも知れません。

でも信じて待ちましょう。


そのうち、本人のペースでやらなきゃいけないことは出来るようになるし

避けて通れるものは避けて通る術を身に付けます。


<今日の禅語のまとめ>

【且緩々 しゃかんかん】


その子、その子のペースがあるので焦らず、見守りましょう。


大人になってからも、日々成長です。

そう思うと、焦る必要もなくまだまだ、時間があるでしょう?


わたしたち、親もわたしたちのペースで、子ども達と一緒に

これからも成長し続けて行けばいいのです。

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