夜に降った大雨で、花は散ってしまったとしても、翌日、川の流れとともに花の香りが街中に満ちている。
という禅語です。
愛でる花は雨のおかげで散ってしまったけど、雨のおかげで散った花からの芳香が街中に充満する。
まるで、大事に大事に育てた子どもが、反抗期を迎え、自分の道を歩み始めた時のようだなと思うのです。
雨は降るもの。
必要なもので、降らなければ困ります。
反抗期も、正常な成長過程で必要なものであり、本来は自分の意思を持ち、自分で考え行動したいという欲求は喜ぶべきことです。
しかし、痛い目に合わないように、自分と同じ失敗をしないように、少しでも可能性が広がるようにという親の気持ちからすると、大切な花を散らしてしまった雨のように、疎ましいものです。
でも、雨はどうでしょう?
花を散らしてやろうと思って降るのではないのです。
反抗期も、親を悲しませようと思って起きるものではありません。
親のいうことは分かってはいる。
でも、違う道を行ってみたい。
だって行けるような気がするから。
親が教えてくれるのとは違う世界を見て見たい。
自分の力や考えを試してみたいのです。
そう思うと、子どもの反抗期って素晴らしいものに見えませんか?
あの態度は嫌ですけど(笑)
やってみてダメだったら、引き返せばいいだけです。
やってみてダメだったら、それも子どもの学びです。
成功しても、失敗しても、子ども達は何か得ます。必ず。
さて、わが家で起きた一昨日の姉妹喧嘩。
本人たちも、いつもの喧嘩のはずなのに、なんでこんな事になったんやろう。。。
と感じているうえに、母から反省と謝罪がなければ、ご飯・洗濯一切のお世話はしませんと宣言され、まさかこうなるとは思いもせず二人ともオロオロしてました。
すぐに、反省と謝罪があったので、1日たたずにお世話再開です。
そして、長女の時は、謝罪も受け容れず何日も怒っていて、かわいそうなことをしたと、また反省しました。
子ども達が喧嘩したのが悪いことなのかと言えば、正直喧嘩もありだなと思っています。
やりっぱなしはダメですけどね。ちゃんとそこから気付きがあれば、それも経験だと思うからです。
今回わたしは、末っ子の寂しさも、薄々感じてはいたけど、本人から直接聞くことも出来たし
改めて、長女へ申し訳なかったという反省と気付かせてくれたことに感謝も出来ました。
3女は、自分が思ってる以上に受験でピリピリしていることを自覚出来たし
末っ子は、はぁ~やり過ぎたな本人なりに反省しているようだし
それなりに、得るものがありました。
起きてみないと分からないことの方が多いし、起きたらビックリしてショックなことも多いけど
そこだけ見ていてはもったいないです。
その副産物を見ないと、起きたことの本当の意味がないように思います。
あの時はああするしかなかったけど、家出はあかんで。
と自ら言う長女のように。
<今日の禅語のまとめ>
【一夜落花雨 満白流水香 いちやらっかのあめ まんじょうりゅうすいかんばし】
起きた出来事は、まさかそうなると思って起きたわけではない。
だったら、起きたことのみに反応するのではなく、そこから得るものを見つけましょう。
何事も、学びはあるはずです。
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