露【ろ】

何もかもあらわになった状態をさす禅語です。


今日は、振り仮名がいらないほど簡単に読めますね(*^^*)

あらわになったということは、隠すことも出来ない、素のままだということです。

こんな姿、なかなか人に見せられませんね(笑)


人は無意識のうちに自分をよく見せようとします。

それは、自分の中にある自分像をそのまま他人に受け取って欲しいからかも知れませんし

こんな風に自分を見て欲しいという思い

自分はこうであるべきという思い

理由は様々です。


ありのままの自分をさらけ出すということはとても勇気がいります。

知られると


陰口をたたかれるかも知れないし

その上あることないこと言われるかもしれないし

自分の在り方を否定されるかもしれないし

嫌われるかもしれない


そりゃあ、怖いですよね。


生き辛さを抱えた子ども達も、ありのままの自分をさらけ出すことが苦手です。

でも、ありのままの自分をさらけ出して生きることが出来たら、とても楽です。


ですから、親がありのままの自分をあらわにして生きている姿を見せてあげると、少しずつ

ほんの少しずつではありますが、子どももありのままの自分で生きようと変わってきます。


では、その怖さを抱え、親はどうやってありのままの自分をオープンにするのか?

わたしの取った行動を例にすると


まずは、この人は大丈夫

と感じた人にだけ、自分をさらす。

その代わり、その感覚が間違ってたとしたら、そういうものだと納得出来る相手にだけ

自分の本当の姿をあらわにします。

相手を信じるかどうかは自分次第なので、例え違ったと感じても


この人は、分かってくれると思ったのにとか

誰にも言わないと思ったのにとか

思わず


そうか、思ってたのと違うかったか

と、自分が納得できる相手に絞って、自分をオープンにしましょう。

その回数と、経験を重ねれば、少しずつありのままの自分で生きて行けるようになります。


今は、SNSも発達しているので、それを利用するのも一つです。


わたしは個人的にFacebookを利用していますが、このサイトのことやもう一つのアメブロのことも時々リンクを貼って、記事内容をシェアします。


お友達の中には子どもを通したママ友であったり、学校関係の方ともつながりがあります。


ですから、自分が子育てにつまずいている姿をオープンにすることが

始めはとても怖かったのですが、見る人は見るし

見ない人は見ないと割り切り、見られても大丈夫なようにお友達の整理もしました。

この人には見られてもいい、相手が違った捉え方をしてもこの人ならいい、と思える人だけ繋がりを残したのです。


そうすると、反応がない方はどう思ってらっしゃるかは分かりません。

なんかなーと思ってスルーしてるのかも知れないし、興味がないだけかも知れない。

どちらにせよ、面と向かって否定されたことは1度もありません。


ありのままの姿で何かを発信することも、わたしにとって必要なことでしたが

吐き出すところも必要だったし

自分の体験が、誰かの役に立つのではないかという思いもあったのでこの方法を取りました。


結果、どなたがリンク先まで読んで下さってるかは分からないし、どんな感情を持たれたかは分かりません。


でも、プラスの言葉を掛けられることが増えたし、SNSとはいえ人と人との心のつながりを感じることが出来ました。


人は、自分以上でも、自分以下でもありません。

大きく見せようとしても、小さく見せようとしても

本当の姿は本来、自然と露わになるものです。


だったら、背伸びせず、謙遜せず自分らしく、ありのままで生きたいと思いませんか?

とっても楽ちんですよ。


<今日の禅語のまとめ>

露【ろ】

100人いたら、100人全員に好かれることもないけど、100人全員に嫌われることもない。


自分らしく生きることは、楽に生きることです。

楽に生きることが出来れば、出来ることも可能性も広がります。


そして何より、子どもに自分らしく生きる姿を見せることは、親子ともども生き辛さから抜け出す第一歩です。





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