遠くの山から、人々が住む里を眺めること。
遠くからでないと見えないものがあるということです。
近いと細かなところまで見えるけれど、遠く離れたところから見ると、全体像や普段は見えなかった外側が見えるものです。
そこにいる時には分からなかった良さも、離れてみれば感じることが出来ます。
子どもも、近すぎるからこそ客観的に見れない部分があります。
家の中での様子と全く違う、外でのしっかりした態度に驚かされたことはありませんか?
わたしは4人とも、たくさんありました。
特に次女は、1人で生活できるタイプではないと、家族の誰もが思っていたのですが
いざ、家を出て見ると、思った以上にしっかりしていて、自炊もそこそこ頑張っています。
離れてみて分かる、親のありがたさとでも言いましょうか
離れて暮らした方が、本音で話し合えるし、親の話しにも耳を傾けるようになりました。
問題行動ばかり繰り返していた長女も、家を出てからの方が問題を起こさず
親子の関係性も落ち着いています。
親も、子どもを信じて見守ることが出来るようになり、わが家の場合、距離を取ることは
お互いにとって良いことでした。
<今日の禅語のまとめ>
生き辛さを抱えている親子の場合、ちょっと遠くから見守る、距離を置く方がいい場合が多いものです。
まだ、巣立つ年齢ではない場合、意識的に距離を取ってみると良いでしょう。
片目をつむって子どもを見る。
なんなら、開いてるもう片方の目も、半開きくらいでちょうどいいかも知れません。
生き辛さを抱えた親子の場合、親もの方もちゃんと子どもを見ておかなきゃ
と必死になってるので、子どもは見張られているようで余計にしんどいのです。
お互いのために力を抜くには、距離が大切ですね。
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