生死事大 無常迅速【しょうじじだい むじょうじんそく】

人の生死は一大事であるが、時はとどまることなくあっという間に過ぎて行く。

限られた人生を無駄に過ごしてはいけないという禅語です。


言うまでもなく、分かっている

と誰もが思うことでしょうが、本当に理解し、常に全力で生きていけているのかというと

中々出来ていないことなのかも知れません。

子どもの成長は、過ぎてみればあっという間です。


産まれたばかりの頃はそれはそれは、寝顔を見ているだけでも飽きないぐらい可愛く

小さな成長が、大きな喜びで、早く大きくなって、もっといろんな姿が見たいと願います。


もう少し大きくなり、一丁前に口答えなんてし始めると

早く大きくなれへんかな( `ー´)ノ

なんて、思ったりします。


成長が待ち遠しい時間も

自立を望み自立する時がやってくるまでの時間も


その時は長く感じられますが、何十年という人生の中の、数年でしかありません。

子どもと本気で向き合うことの出来る時間は、とても限られているのです。


その数年の間に、目まぐるしく色んな出来事が起こり

生き辛さを抱える親子にとっては、本当に長く辛い時期があります。


そんな時、何をしても一向に良くならない

と、絶望を感じ、毎日が長く感じるでしょう。


わたしも、長女が夏休みに1カ月の家出をした時、毎日がとても長く感じられました。

それまでも1晩帰ってこないということを2,3度繰り返していましたが


毎度、毎度、夜は眠れず、やっと眠れたと思ってもすぐに目が覚め

時計を見ると、まだ夜中の2時。


朝がくるまで、何十時間と掛かっているように感じたものです。

そして、途方に暮れて思うのです。


いつまで続くのだろう

と。


でも、終わりは必ずやって来ます。

わが家の場合、長女の問題行動も、次女の不登校も2年ほどでした。


不登校の場合、始まりが小学校なら、もう少し長丁場になりますね。


長丁場にはなりますが、不登校は、それがどんな形であれ、必ず終わりが来ます。

だって、卒業するまで一生学校に通い続けなければならないわけではないですからね。


ということは、その終わりを迎える時に、どんな迎え方をするかが大事です。

そして、納得のいく終わりの迎え方をするためには

日々、子どもとしっかり向き合わなければなりません。


辛い日々の終わりが見えなくとも、1日1日が実は短く大切です。

不登校に終わりは来ても、人生は続きます。


長く辛い日々でもその日その時に出来ることを、しなければならないことをして

向き合わなければ、課題を先送りにするだけです。


今は辛くとも、永遠に続く時間ではありません。

決して辛いからと先送りにせず、今できることをしましょう。


辛い中、子どもと向き合った結果は必ず訪れます。


<今日の禅語のまとめ>

【生死事大 無常迅速 しょうじじだい むじょうじんそく】


長く辛い日々も、永遠には続きません。

永遠に続くと思って何もしないでいると、課題を先送りにするだけ。


終わりは必ず来ると理解して、今出来ること、しなければいけないことに

力を注ぎましょう。


今、子どもと向き合うための、限られた時間を与えられたのです。


辛い中、子どもと向き合った結果は必ず訪れます。

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