放下着【ほうげじゃく】

「放下」は捨てるということ、「着」はしなさいということ。

要するに、全て捨ててしまいなさい。という禅語です。


全てを捨てたのにまだ何を捨てるのか?という問いには

捨てきったという思いすら捨てるように

さらに、全てを捨てても、まだなお残る執着は抱えて生きて行くほかない

という教えです。


深いですね。

この「全てを捨てる」に当てはまり、なかなか捨てきれないものに

子どもへの期待というものがあります。


親というものは、子どもがお腹に宿った瞬間から

当たり前ですが、元気に生まれて来てほしいと願い

産まれて来ては、元気に育って欲しいと願い


そこから先は

早く歩けるようになって欲しい

自転車に乗れるようになって欲しい

勉強が出来るようになって欲しい

期待が尽きません。


そのうち反抗期を迎え、自立し

子離れが出来ると、やっと期待から解放されるかのよう見えます。

しかし、結婚、孫の誕生と、やはりまだまだ期待することもあるでしょう。


わが子が幸せならそれでいい。

そう言いつつ、実は自分でも気付かないうちに期待している。

よくあることです。


ただ願うだけなら、とても自然な期待なので問題はありませんが

必要以上に、いつまでも自分の思い通りになることを望むのは

期待という名の執着です。


受験生の子をお持ちなら、もうちょっと勉強して欲しいと思うのも期待。

どんな結婚をして欲しいとか、どんな人生を歩んで欲しいとか

それも期待。


ある程度、大きくなったら

する、しない、全て含めて期待という執着をせず

子どもに任せることが一番です。


親が出来ることは見守り、SOSが来た時に手を差し伸べることだけ。


<今日の禅語のまとめ>

【放下着 ほうげじゃく】


子どもへの、期待という執着は手放しましょう。

手放せたと思っても意外と手放せていないことはよくあります。


それに気付けば、その執着は自分で抱え、子どもには何があっても見せないこと。


どれだけ、親が心配したとしても、子どもは子どもの人生を

自分で選んで歩いて行きます。





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