家に帰ってホッとくつろげる、穏やかになることをさす禅語です。
家って不思議です。
生まれ育った家も、一度出てしまえばそこはもう「実家」であって
本当にくつろげるのは、自分の今住んでいる、生活している場所になります。
短い短い夏休みが終わり、2学期がスタートしたところも多いのではないでしょうか?
不登校児とその親にとっては、とてもしんどい時期ですね。
行くか、行かないか迷わなくていい
行くか、行かないかハラハラしなくていい長期休みは
親子共々そんな辛さから解放される時です。
だから、休み明けは本当にしんどい。
親も子も
あぁ、また葛藤しなければいけない
そう思うと本当に毎日が憂鬱でしかありません。
今日の禅語は、そんなお父さんとお母さんに送りたい禅語です。
皆さんは、里帰り出産をされましたか?
もしくは、一人暮らしや結婚で、実家を離れたあと
泊りがけで帰省したことはあるでしょうか?
実家を出て、そう日が経っていなくても、一度出た家に帰ると
まるで自分の居場所ではないような感覚はなかったでしょうか?
わたしは、次女の出産の時、臨月直前に大阪から神奈川に引っ越し
引っ越しが片付くとすぐに出産のために大阪の実家へ帰りました。
新居には、1週間もおらず里帰りしたのですが、実家へ帰ってすぐに
家に帰りたい
と感じ、無謀なことに助産師さんに相談し怒られました。。。
当たり前です(笑)
たった1週間しかいなかった新居でも、もう自分の居場所はそこなのです。
実家は実家でしかなく、自分の居場所ではなくなってしまっていたんですね。
わが家の長女と次女はもう家を出ているのですが、長女はよっぽどのことがない限り泊まりません。
居心地が悪いわけではないけど、自分の居場所ではないと感じるそうです。
それだけ、自分の家って大事なんですね。
不便でも、一人ぼっちでも、掃除が行き届いていなくても
自分の家は唯一くつろげる所
不登校の子は、学校へ行けない理由があって学校へ行けません。
でも、それを良しと自分でも思っていないのです。
行けない自分を責めている子がほとんどでしょう。
だから、家にいても、なかなかくつろぐことが出来ないのです。
逆に、家でしっかりくつろげている子は学校へ行かなくても良いと思っている子もいます。
想像してみて下さい。
どこにもくつろげる場所がないことを。
よく、仕事でクタクタになったお父さんが、家に帰ると奥さんの愚痴を延々と聞かされるのでくつろげない
なんて話を耳にします。
奥さんにしたら、旦那さんにしか話せないので、これがいいとか、悪いとかの話しではないですよ。
仕事の疲れを癒す、休むために家に帰って来てるのに、休めない。
不登校の子は、確かに学校へ行っていないし家でゴロゴロしているかもしれない。
でも、行けない辛さを1日中抱えているので、心はクタクタです。
そして、それを家で感じているので
気持ちの休まることがないということは、簡単に想像できるでしょう。
親の不安も分かります。
わたし自身次女の不登校で、同じ思いを感じましたから。
でも、振り返って思うのです。
家でだけは、もっとくつろげる、ありのままの自分でいられるようにしてあげればよかったと。
そうしていれば、学校へ行ったかも知れないとか
そういうことではなく、生きて行くうえで
学校へ行くことよりも、家でどう過ごすのか?
家という、安心できる場があることの方が重要だからです。
家でくつろぐことが出来れば、例え学校へ行かなくても
子どもはやがて自立して出て行く力を身に付けます。
家という帰る場所があるということは、辛い時もうひと踏ん張りする力を出せる源ではないでしょうか?
なにより、不登校は限界まできた結果です。
もう、これ以上頑張ることは無理な子が多いです。
家で十分休ませてあげてから、その先を考えても遅くはないし
休ませてあげないと、次へは進めないと思います。
<今日の禅語のまとめ>
【帰家穏坐 きかおんざ】
不登校の子は、親が思う以上に頑張り屋さんです。
頑張って頑張って、頑張った結果、ちょっと休憩が必要な時期になりました。
お家では、何も心配せず、自分を責めず、ゆっくり休めるようにしてあげましょう。
大丈夫。
しっかり休んだら、学校へ復帰しなくとも、自分の道を歩いて行きますから。
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