自分自身を唯一の頼りとして生きること。
誰かに照らしてもらうのではなく、自分自身の内側に灯りを見つけ歩いて行くことです。
これは、自分が進むべき道、自分の中にある大切な譲れないものがはっきりと分かっていないと、少し難しいですね。
この禅語にピッタリな禅タロットがこちら
大アルカナ 9 独りあること
彼は、自分に見える光を頼りに、真っ暗闇を1人、道なき道を歩きます。
見るからに孤独なように見えますが、彼はそれを自分で選んでいるのです。
そして、彼が歩いた跡が、道となる。
子育てをする時、わたしたちは誰かに子育てを教えてもらっているようで、実は教えてもらっていません。
その上、子育ては育児書通りにも行かないし、先輩と同じようにしても上手くいかないことなど当たり前のようにあります。
そんな時、子育ての壁にぶち当たったら、どうしたらいいのか?
分からなくて当然だし、正解などありません。
しかし、分からなくても、子どもとどう向き合うのかを決めるのは自分自身です。
学校の先生でもなければ、自分の親でもない。ましてやプロとはいえ、専門機関の相談員でもない。
その子を産み、育ててきた自分にしか、これから先どうするか決められないのです。
もちろん、色んな所からアドバイスをもらうことは悪いことではありませんし
混乱している時は、誰かに相談して心を落ち着かせることも大事です。
でも、もらったアドバイスは完璧に問題をクリアできるものではありません。
相手は、意思を持った子どもなのですから、上手くいくとは限らないのです。
もらったアドバイスを元に、どう動くのか?
そのアドバイスに自分は納得がいくのか?
そうして、自分で決めたことこそ、【自灯明】ではないかと思います。
わたしも、長女が家出を繰り返していた時、最初の頃こそ母の意見を聞いていましたが
家出が長く、繰り返されるにつれ(笑)
自分で対策を模索しました。それがカウンセリングです。
かといって、カウンセラーのいうことを何でもかんでも聞いて行動したわけではありません。
それは、先生が自分の信じることを大事にすること、納得して行動することを優先してくれたからです。
人は自分の足で歩かない限りは、本当の意味で先へ進めません。
自分の足で歩くということは、自分で行く道を決めることです。
そして、どんな人間も、子育ての壁にぶち当たってボロボロになり、完全に自信をなくしたと思われる母親でも、自分でまた立ち上がって歩き出す力があるのです。
先生はそれを信じているから、自分で歩くように、自分で決めるようにして下さいました。
そして、わたしは長女ときちんと向き合うことが出来たのです。
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