淡々とした付き合いをすること。
水のようにさらさらと、澱みなくきれいに流れ続ける付き合い方は理想的ではないかと思います。
血は水よりも濃いと言いますが、親子でも合わないものは合わないのです。
だから、例え血よりも水の方が濃く、あっさりとした付き合い方でも良いと、わたしは思います。
血も濃すぎると血管詰まりますしね(;・∀・)
このサイトでは、親子関係の生き辛さを手放すことをテーマとしています。
これは、親子関係で生き辛さを抱えるあなたへ のページでも書いている通り
何も子どもとの関係性だけを指すものではありません。
ご自身の親との関係性で生き辛さを抱えている方も含まれます。
親との関係性で生き辛さを抱えたまま子育てをすると、子育てにつまづきがちだったり
気分の浮き沈みが激しかったり、親との関係性を子どもとの関係性と重ねて悩んだりする方が多いです。
そして、わたしもその1人です。
わたしの場合、親だけでなく叔母との関係性にも問題を抱えていました。
そして今回は割愛しますが、わたしは叔母との関係性から、娘との関係性にも影響が出ていました。
叔母との関係性は、思春期に入るころには、これは問題だと自覚していたので、かれこれ30年ほど悩み、昨年、絶縁宣言をしました。
わが家は母子家庭だったので、母の妹である叔母はわたしたちの面倒を見てくれたこともあり
とても近い存在だったのです。
今も独り身なので、万が一のことがあれば、わたしが面倒を見るつもりもありました。
問題は抱えていたので、完全に離れることも出来ましたが、それだけの叔母に対する気持ちもあったので、血は水よりも濃いから無理に仲良するのではなく
淡々と適度な距離を保ちながら付き合っていたのですが、それは最後まで続きませんでした。
叔母とは、【淡交】を経ての絶縁なので、後悔もなければ
いつか、また【淡交】へは戻れるかもしれないと思っています。
親子であってもそうですが、親族とは出来れば、ずっと仲良く深い付き合い方をしたい気持ちも分かります。
しかし、何より一番大事なのは、それぞれが心安らかに穏やかに幸せに暮らすことのはずです。
距離が近く、深い付き合いが、その安らかな暮らしを壊してしまうのであれば
水のようにさらさらと流れる、あっさりとした付き合い方でもいいはずです。
それでも、こうして上手くいかない場合もあるのですから、血は水よりも濃いからと無理をしても意味がないように思います。
意味がないどころか、お互いの幸せを壊しかねません。
<今日の禅語のまとめ>
【淡交 たんこう】
時に、お互いのためにベッタリではない
あっさりとした付き合い方も大事。
それで、それぞれの幸せが守られるのであれば、血は水よりも濃い
ということのこだわりはいらないはず。
大事なのは、お互いが心安らかに、穏やかに、幸せに暮らすこと。
【淡交】でそれが守られるのであれば、罪悪感を気にせず、あっさりと付き合いましょう。
それも、ある種の愛ではありませんか?
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