本来空寂【ほんらい くうじゃく】

人は一人で生まれて来て、一人であの世に旅立っていく。

一人で空へ帰っていくが寂しがることはない。

という禅語です。


誰もが一人で生まれ、一人で旅立つ。

これはどんな人間も平等でしょう。

そして、残される人間も皆、同じ悲しみを持つのだと思います。


どんなに深く関わっても、代わってあげることも出来ないし、別れが辛くとも

それぞれが、それぞれの人生を全うしなければなりません。

今日は娘と、娘の友達を連れて、1年前に天へ旅立った娘の同級生に会いに行って来ました。


去年、二人とも大阪にいなかったので、お葬式に参列できず、今日やっと、お別れを言いに行くことが出来ました。


同じ親として、ご両親の気持ちを思うと、まだ胸が苦しくなりますし

何より10年間、自分の子と同じように成長を見てきた子の死は、未だに受け入れがたいです。


でもご両親は、一つ一つ折り合いをつけながら前に進まれてる姿を見て、本当に立派だなぁと思います。


彼女のお母さんとは、とても親しくさせて頂いてました。

長女が家出中の時は、そっと、本当にそっと話を聞いてくれ、心配してくれ、わたしの気持ちを理解してくれたものです。


当時のわたしは、家族にすら心を開くことも出来ずにいましたから、本当に助かりました。


そうして、常に生きることや、子どもに対しても真剣に向き合ってきた人だからでしょうか


精一杯生きてきたから、後悔はないと思う

と、後々娘さんのことを話されたときは、やっぱりすごい人だなぁと思いました。


わが子が精一杯生きたのですから、それを認めたい思いはあっても

後悔はないと思う。

と口にすることはなかなか出来ることではありません。

だって、親はもっと一緒にいたかったし、もっと成長を見届けたかったことは想像に容易いのですから。


今日は、友達が来たら必ず聞こうと決めていると言って、二人の進路を聞かれました。

二人は、自分のそれぞれの思いを話し


偉いな~

しんどいこともあると思うけど、やりたいこと目いっぱいしーなー

みんなが自分の道をしっかり歩いて行くことが、あの子の供養になるから。


と言葉を掛けてもらいました。

それを聞きながらまた、自分にはとても言えない言葉だと思えたのです。


この、辛い状況から、わたしが何を言いたいのかというと


今日の禅語【本来空寂 ほんらい くうじゃく】

人は一人で生まれ、一人で天へ旅立つ

それは順番が違ったとしても、避けては通れない。

寂しがるなと言われても、寂しいのが人。


だからこそ、どう生きるのか、生きている間にどう人と関わるのかがとても大切なように思うのです。


今日、娘たちがされた進路の質問。

もう、高校3年生ですから、そんなことを聞かれても、ママの気持ちを考えれば素直に答えていいのか戸惑いもあります。

でも、戸惑いつつもしっかりと答え、励まされることで彼女たちはまた、一つ成長したはずです。


これも、一足先に旅立った友人が繋いでくれたものです。


誰も一緒に逝くことは出来ないし、代わることもできないけれど

人と人とのつながりは、ずっと切れることはないと思います。


わたしは、ここで感じた繋がりを誰かに伝えて行くし

ここで学んだことを、伝えて行く。


それが自分の務めだと思います。


<今日の禅語のまとめ>

【本来空寂 ほんらい くうじゃく】

人は一人で生まれ、一人であの世へ旅立つけれど、寂しがることはない。


だって、決して一人ではないから。


生きている間に繋いだものはなくならないし

旅だった後も、残された人が繋いでくれる


だから、一人じゃない。

寂しさはなくならいけど、時間と共に共存できるといいですね。

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