坐一走七【いちにざして しちにはしる】

七回走れば、一回は座りましょう。

走り続けてばかりはいられない。時に座ること=休憩、も必要だということ。


人生走り続けてばかりはいられないもの。

でも、生き辛さを抱えた子ども達は、休むことを知らずに走り続けているからこそ、ストップがかかるのかも知れません。


見た目には、バタバタと忙しそうに動いてるわけではなく、のんびりしてそうでも

心はそわそわ、落ち着かず、心ここにあらずといった感じで、気持ちばかりが動き回っている時って、誰もが経験があると思います。


あれこれ考えて、起こるか起こらないか分かりもしないことを心配したり

小さなことを引きずって、ネガティブのループにはまり、周りは気にしてないのに、1人どうにかしようとオロオロしたり。


それは、心が休まっていないということです。



ああ、今日も色々あったけど、それなりにいい1日だったなぁ。

とか

ああ、今日は失敗しちゃったけど、まあこれぐらい何てことないよね。

とか


そんな風に、きちんと1日を終わらせることが休息です。


でも、学校へ行けない子、問題行動を起こす子は


今日、あの子にあんなこと言われて、やっぱり自分は嫌われてるんだ。

明日から一人かも知れない。

とか

今日は、上手くいったけど、明日は問題が起きるかも知れない。

とか


今日は何とか怒られずにすんだけど、明日はあれがバレて怒られるかも

知れないから、次の対策を考えないと。

とか


起きてもいないことを心配したり、心が落ち着かず嘘に嘘を重ねたりします。

実はみんな、ちっとも休んでいないのです。


不登校の子は、学校へ行けなくなることで、強制的に走ることをストップします。

その後、毎日家でじっとしている姿は、しっかりと休んでいるように見えるでしょうが

それでも決して心は休んでいません。


家でじっとしながらも、毎日、学校へ行けないことを焦って心は走り回っています。


問題行動をとる子も同じです。

困らせてばかり、好き勝手やっているんだから、心が休めていないなんて、とても感じないでしょう。

でもこの子たちは、見えない苦しさとずっと1人で向き合っているので、全然休めていないのです。


その見えない苦しさというのは、寂しさかも知れないし、無価値観かも知れないし、自分を見て欲しいという思いかも知れません。


それを理解したうえで、どうしたら休めるのか?

どうしたら、心が元気になるのか?


その方法を考え、向き合っていかなければなりません。


しかし、すぐにはその方法が分からなくても、休めていないんだということを分かってあげるだけでも、子ども達は休んでもいいんだと知ることが出来ます。


まず、お父さん、お母さんが休むお手本を見せて

一緒に休んでみるのもいいかも知れませんよ。



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