枯木裏龍吟【こぼくりの りゅうぎん】

たとえ枯木でも、強い風が吹けば龍の鳴き声のように猛々しく鳴り響くこと。


役に立たないように見えても、世の中に役に立たない物などない、ということ。


シーンと静まり返ったところに、ザーッと強い風が吹く。

それだけでも、ヒヤッとします。


その上、寒々しく並ぶ枯木が、強い風にあおられザワザワザワー、ガサガサガサーっと

驚きの声も飲み込むほどの恐怖を感じさせる音を立てるのです。


それはもしかしたら、驚かそうと鳴る音ではなく、一人じゃないよという励ましなのかも知れません。


見知らぬ道を恐々と進むわたしたちに迫る、危険を知らせてくれる音なのかも知れません。



生き辛さを抱える子ども達は

自分には生きている価値がない

産まれて来なければよかった、と言います。


まるで自分が枯木のような存在に感じるのでしょう。


頑張っても上手くいかない、行きたいと思いながらも学校へ行けない次女はもちろん

好き放題生きているように見える長女ですら、そう言っていました。


そんな二人の、リストカットで傷だらけの腕を見るたびに、泣いてあなたは必要な子だと言い続けました。


それはもちろん、本心ですが

どこか、こう言えばリストカットはなくなると期待しての声掛けだったのかも知れません。

だからでしょうか、この声掛けの仕方、向き合い方はわが家の娘たちには合いませんでした。


返って、お母さんをこんな辛い目に合わす自分は、やっぱり生まれて来なければよかったと

思わせることもありました。


いつしかわたしは、リストカットの傷を見ても、気付かないふりをしました。

これは見て見ないふりではありません。

きちんと自傷行為を把握したうえで、敢えて何も触れない、ということです。


そして、その代わりに別の伝え方をしたのです。


リストカットには触れずに、笑いながら、小さい子をあやすように

賢いなぁ~、可愛い可愛い

と、もう成人に近い娘たちの頭を、よしよしと撫でて、彼女たちの存在が愛おしく

必要であることを伝え続けました。


始めは受け容れられない娘達でしたが、今はこんな自分なんか。。。

という思い、全てはぬぐい切れなくても


親に愛されている

こんな自分でも、少なくとも親には必要な存在なんだ


ということは事実として受け止めてくれています。


親としては、わが子の自傷行為は嫌です。

未だに受け止めきれない部分もあります。


でも、それでも娘達は、わたしにとってかけがえのない存在です。


生き辛さを抱える子どもにとって、自分は枯木のようなものでしょう。

何の役にも立たない存在。


でもそんなあなた達でも、必要であることを伝え続ける必要があります。


自分を枯木だと思う子ども達

自傷行為をしてしまう自分

そんな自分でも、生きているだけで、そこにいるだけで

大好きな親を喜ばせることが出来る、役に立てる


そう感じることが出来れば、少しずつでも生き辛さを手放して行くことが出来るでしょう。

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