花枝自短長 【かし おのずから たんちょう】

花にはたくさんの枝があり、それぞれ長かったり、短かったりするもの。

その長さの違いが、花をより綺麗に美しく見せる。

全て同じ長さだとバランスが悪い。


簡単に言うと、みんな違ってみんないい

1人1人違う良さがある


ということですね。



うちの長女は小さい頃は、それはそれは手の掛からない賢い子でした。

ぐずることもなく、3歳の頃には身支度から、保育園のお着替えの支度まで自分で用意していました。


どんどん吸収する子だったので、どんどんやらせました。

今考えれば、出来すぎた子でしたね。


ただ、活発でじっとしていられない落ち着きのない子ではありました。


大阪弁で言うところの

いらんことしー

です(笑)


それも、子どもが長女1人の時にはさほど気にならなかったんですが、次女が生まれると

気になって気になって仕方ない。

そうなると、そこばかりが悪目立ちする。


長女が小学校へ上がると、わたしの口癖は


いい子じゃなくても、特別勉強できなくてもいいから

普通の子になって、当たり前のこと当たり前に出来る子になって

でした。


これは、わたし自身が真面目ないい子ちゃんであり

”普通であること”

を自分に縛って生きていたからだと思います。


その後、成長した長女は

体育をさぼるために友達に、親の振りして連絡帳に嘘の理由を書いてもらう(小2)

スイミングさぼって、そのままだとバレるから水着を濡らして帰ってくる(小4)

そろばんも、書道もさぼるのに、辞めずに続けるといってきかない(小5)


などなど、今では笑える話だけど、毎日ブチ切れてました。


そして、思春期に繰り返される家出。

ええ。わたしとは正反対(笑)


ただ、1つ共通点がありました。

それは、家に帰りたくない、ということ。


彼女の問題行動は、全ては家に帰りたくないから起こすもの。

家に居場所がないから、帰りたくない。


わたしもそうでした。

家に居場所がないと感じ、家に帰りたくなかった。


それも、18歳という若さで結婚した理由の1つでしょう。


そう。

わたしと長女は同じ痛みを持ち、でも表現や行動が違った

同じ花であり、でも違う長さの枝だったんです。


わたしが、わたしだから、長女は違ってくれた。


わたしは、ずっといい子ちゃんだったので、生き辛さを抱えて生きていたことを親に伝えていません。

ですから、親は今もまだ、わたしが生き辛さを抱えていた過去を知りません。


長女がわたしと同じ枝であったら、薄々気付きはしていても

子育てに追われ、気付かないふりをし、負の連鎖は続いていたでしょう。


長女は、問題を起こすことで

この連鎖を止めてくれました。


このことに気付き、長女をありのまま受け止めるように意識を変えると

彼女は1年の家出から帰って来ました。


そして、そこからが本当の親子の向き合いのやり直しです。

長女は長女だと、ありのままを見守ることにしています。

わたしも、ありのままの自分をさらけ出します。


そうすると、それからも問題は起こしてくれますが、必ず家に帰って来ます。

困ったことがあれば、事後報告でも相談してくれます。


あれだけ嫌だった家に帰って来て

お父さんとお母さんの子で良かった。

みんなと家族で良かった。

そう、言ってくれるようになりました。


親子と言えど、全く違う人間です。

自分の思うようにはいきません。


わが子の良さを認め、尊重しましょう。

そして、自分自身の良さも認め、尊重しましょう。


家族それぞれがお互いを尊重し、わが家だけの綺麗な花を咲かせましょう。

家族は一つのチームです。
















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