寡欲則心自安【かよくなればすなわち こころおのずからやすらかなり】

自分の持っているものに満足し、多くを望まなければ、心は自然と穏やかで満たされる事


「最小限のもので満足することが一番幸せ」

世界でもっとも貧しい大統領と言われた、南米ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領の言葉です。


彼は大統領という職に就いてなお、水道も通らない土地で、井戸から水を汲み自らも畑を耕し

国民と同じ生活を送ったそうです。


そして、わたしは持っているもので贅沢に暮らすことが出来る

とも言いました。


もっともっとと求めず、今あるもので満たされるということは、その時を幸せに生きるだけでなく、実は幸福感を増やせる元ではないでしょうか?


例えば、スマホ

誰もがスマホを持つようになり、人々は確かに豊かになったでしょう。


知りたいこと、分からないことを、すぐにその場で調べられ

SNSを通じて色んな人と交流することが出来るようになりました。


とても便利なアプリが山のようにあります。

しかし、その豊かさの裏に、わたしたちは多くの犠牲を払っていませんか?


それは「時間」です。


ほんの一瞬の暇を見ては、すぐにスマホチェック

そして、ついついそのまま重要ではない動画を見続けて、あっという間に1時間が過ぎる。


スマホそのものを手放すことは難しいですが、山ほどあるアプリを

これだけあれば、十分だ。と一定で満足することが出来れば、もっと時間を有効活用することが出来ます。



さて、これを子育てに置き換えると。。。


子どもを産むと、それだけで幸せを感じます。


産まれたばかりのわが子の顔を見て

元気にすくすく育って欲しい。それだけで十分だ。

誰もがそう思ったのではないでしょうか。


でも、その願いは子どもの成長と共に、なぜかどんどん増えていきます。


もうちょっとおりこうさんにならないかしら

もっとスポーツが出来る子に

少しでもいい成績が続くと、今度は100点取って来ないかな


もちろん、向上心は大切ですし悪いことではありません。

しかし、それを親が子供に求めることは少し違うように思います。


上を目指したいと子ども自身が思えば、親は応援してあげる

それだけでいいのです。


成績とは違いますが、わが家の次女は2度の不登校の末、高校を中退しました。


せめて、高校卒業だけはと望むのは親であれば当たり前でしょう。

しかし葛藤の末わたしが決断したことは

彼女の生きようとする姿勢を見守ることでした。


不登校だけでなく、リストカットや抜毛症もあり、それでも生きることを諦めずもがく彼女を見て


生きているだけで十分だ。生きていれば何とかなる。

そう気持ちを切り替えたからです。


そうすると、中退から1年半後

やりたいことが見つかったと、就職活動を始めました。

そして、ある会社に応募し、不採用となりました。


さすがに、少し落ち込みはしたものの、不採用となったことで、彼女はまた自分の人生について考え始めたのです。


本当に自分はそれをやりたかったのか?

と考え直し、もうちょっと時間を掛けて本当にやりたいことを探してみる


と言いました。

これがわたしが体験した、今あるもので満たされ、その上、より幸福感を得られた実体験です。


確かに、高校は卒業して欲しいという親の思いはゼロにすることは難しいでしょう。

でも、ありのままの子どもを受け容れ


生きていてくれるだけで十分だ

もがきながらも、この子はこの子の人生を自分の足で歩こうとしている


それだけで十分幸せだと、そう受け容れるとその後の成長や変化も、自分の幸せを大きくしてくれるものとなります。


就職活動は当たり前のことかも知れません。

でも、考えてみて欲しいのです。


不登校で苦しんだわが子が、自分の夢を見つけて就職活動をするなんて

不登校児と向き合ってきた親にとって、どれだけ幸せなことなのでしょうか。


そして、生きているだけで十分だ。学校へ行けなくてもあなたは大切な子だ

と親が応援することは、子ども自身がありのままの自分を肯定し、次へ進む大きなステップとなるでしょう。





親子関係の生き辛さを手放す禅タロット

禅の教えと禅タロットを使った、親子関係の生き辛さを手放すカウンセリングセッション Osho禅タロットを使えるようになるための、禅タロット師養成講座も開講中

0コメント

  • 1000 / 1000